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今月のふじみ園長のコラム
高田保育園は動かない(3月園だよりから)
ようやく何とかしなくてはと思えるようになり、隙間時間に車を走らせる。12年間放ってあった実家。小さな松とツツジにモミジ、その割と上品な格好をした木達の間に、割と形のいい石がまあまあ感じよくレイアウトされていて、白い小石はせせらぎに見立てたようだった。春にはピンクのツツジが甘い香りを漂わせ、秋にはモミジが赤く染まる。家主はその割と形のいい石に腰かけて一服するのが日課だった。小さな庭でもバーベキューができるぞと、孫がくると嬉しそうに肉を焼いてたっけ。目をつぶるとはっきり浮かぶ昨日のように。今・・・目の前には樹木化した草、所狭しと右に左に動き回って伸びたのだろう棘のあるツルたち。そこはもう、びっくりするほどに別世界。厚手の手袋と二の腕勝負の剪定バサミがないと前には進めないのだ。 12回の春と12回の夏と12回の秋と冬.。12回見て見ぬ振りをされてそれはそれは見事に育った雑草たち。家主が亡き後も、その自慢の松やモミジが朽ちた後もお前たちは息を吹きかけ生命を繋いでくれていたんだ。それにしても強いし痛いな。まだ寒いからこれでも大人しくしてくれているんだよね。
バチンッ、バチンッ。ありがとう。バチンッ、バチンッ。ありがとう。守ってくれてありがとう。
見えてきたよ、腰かけ石。あそこからどんな風に見えるのだろう、力強い雑草たちの息遣いが聞こえるだろうか。12年前とは違う生命の住まい。
・・・でも今日は無理だ、ほんの3メートルが至難の業。今度はノコギリを持って来るよ。父さんが座った場所で私も一服したいから。形のいい腰かけ石で。
時間が経っても変わらない。そっとさりげなくそこにいて、実はどっしり待っている。そんな人間になれたらいい。この子たちが迷ったとき、この子たちがつらいとき、立ち寄る場所になれたらいい。
高田保育園は動かない。ずっとずっとここにいる。 巣立つ子らよ忘れるなかれ。
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